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EXT - Feed Read Be Freed (Vol.6)

ゲームシナリオのためのファンタジー事典 知っておきたい歴史・文化・お約束110ゲームシナリオのためのファンタジー事典 知っておきたい歴史・文化・お約束110
(2010/08/03)
山北 篤

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ファンタジーにまつわる数々のお約束事を紹介した辞典。

1トピックにつき見開き2ページの解説が基本構成で、
全110トピックを紹介している。

その構成から分かるように、数多くのトピックを広く浅く紹介する、
いわゆるファンタジーへの入門書というのが本書の主旨であり、
それ以上の深い知識を求める場合は、より専門的な書籍が必要となる。

とは言っても、ファンタジーに特に詳しくない人にとっては、
本書の内容だけでも充分にマニアックで読み応えがあるし、
思いもよらぬ世界観の広さと深さに驚かされることだろう。

またシナリオにおける世界観構築の指南書の役割も兼ねている。
すなわちファンタジーというジャンルを例にとって、
あらゆる要素は単品では論じられず、同一の世界で相互に因果関係を持って
有機的に結び付いており、それらの総合的構造的な様式こそが世界観となることを、
本書では折に触れて伝えようとしている。


いささか特殊な部類の書籍なので、読むべき人は限られるかもしれない。

・単純にファンタジーの世界に興味がある
・ゲームなどの創作物のネタを探している
・シナリオにおける世界観とはどういうものかを知りたい
・シナリオを書くに当たっての足がかりを探し求めている
・ファンタジー物をより深く楽しみたい
・(特にジャンルを問わない)雑学マニアである

上記に該当する人々にはお勧めできる。
本書を読むことで何らかの効用が得られる可能性があるだろう。
仮にそれがすぐさま実感できる類のものでなくとも、
得られた知識が後々になって隠然と効果を発揮することが期待できる。

一方で、上記に該当しない人々にはお勧めできない。
また既に充分なファンタジーへの造詣を持っている人にとっては、
本書は当たり前すぎて読むまでもないと言える。

値段はやや高めだが、軽めの資料集、あるいはネタ帳として、
その道に関わる人ならば持っておいて損は無いだろう。



個人的な話をひとつ。
自分もかつてはRPGを作り、シナリオもそれほど悪くはない評価でした。
とは言っても、当時から世界観が弱いことは薄々と感じていましたし、
時にそのことを突っ込まれたりもしたものです。

しかし本書を読んだことで、それらの世界観が
やはりいい加減なものだったと再確認したものであります。
つぶさに確かめてみれば、なるほど、まさに穴だらけですし、
下手すれば穴の空く素地すらも存在していないのかもしれません。

そういうわけで、今回製作中のSadmireBlue(絶賛停滞中)では、
その辺は隙の無いように作っていきたいものです。
いささか拘泥しすぎるような気配もあって、
必要な設定とそうでないものの取捨選択を若干ミスってる疑惑もありますが、
こういう所も陰ながら世界観の一端を担うものと考え、
ひとつ地道にシナリオを組み直しているわけであります。

実際、その効果は見えています。
世界観をきっちり仕込まないでシナリオを組むと、
どうも色んな所が宙に浮いているというか、地に足が着かないというか、
思わず首を傾げてしまうイマイチな感覚があるのですが、
確たる世界観に立脚すれば、それらは改善され、実に頼もしい感覚となります。

あと問題なのは、これをどれだけ早く仕上げられるかということですが、
これについては現状では何ともしがたいところです。
そういうわけで製作は絶賛停滞中であり、まったくもって面目ない限りです。



以上、乱文失礼
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031 - Want special service? Go into the bottom.

まずはひとつ質問です。
一般庶民の生活圏で優れたサービスを受けるには、どこに行けばいいでしょうか?

今回はそんなことにまつわるエントリーです。


私がいつも使っている3つのスーパーマーケットがあります。
それぞれA、B、Cとしましょう。

Aの店では、割と店員同士のお喋りが聞こえます。
品出しを見かける事もありますが、概してゆったりとしています。
レジに客が多く並んでさばき切れていない状態で、別の店員が通りかかっても、
レジを開ける事もなくスルーしていきます。
例えばレジ2つに6人ずつ客が並び、すぐ近くに4人の店員がいても、
誰もレジを開けようとはしません。

Bの店でも、やはり似たようなことがありました。
レジを1つだけ開けた状態で、そこに5人ほど客が並びました。
レジの店員はキョロキョロしました。
すぐ近くで、窓辺でゆっくり、張り紙とかの作業をしている店員が3人ばかり。
みんなレジに背を向けて、気付く気配はありません。
レジの店員は、「レジお願いします」と言いました。
それでようやく、作業をしていた1人が別のレジを開け、客が流れました。

Cの店は、レジの客さばきは特に問題ありませんが、
品揃え(というより商品の補充)がどうにもイマイチです。
自分が平素来店する時間が遅めなのもあるのですが、惣菜系はともかくとして、
その他の売り場でも、売り切れて空っぽになった場所が目立ちます。
売り切れは基本的にチャンスロスで、営業上の不備として恥ずかしいものなのですが、
店員たちにそういう感情は見られず、平気な顔をしています。


ところでこの他に、自分がよく使うコンビニがあります。

店員が雑談している所はほとんど見かけません。
品出しする時は、非常にテキパキとしています。
レジの様子には常に気を配り、基本的に客が3人並んだら飛んできてレジを開けます。
売り場は充実し、空っぽになっている場所など、ほぼありません。


さて、ここでひとつ考えてみましょう。
今の話に出てきた店員たちの、雇用形態あるいは待遇についてです。
(厳密に聞き取り調査したわけではないので、あくまで一般論と推論の域は出ません。
 そもそも面と向かって聞けることでもないでしょう…。)

まずコンビニの場合ですが、ほぼ確実にアルバイトでしょう。
時給にしても、夜勤ならまだしも、それ以外では大したものではありません。

対してスーパーの場合、所謂「おばちゃん」はパートタイムが濃厚で、
それ以外の場合は、一般社員がメインといった所でしょう。
スーパーの店員でパートタイム以外のアルバイトというのはあまり聞かない話です。
いずれの場合も、待遇はそこそこだと予想されます。


こうなると、ひとつの不可解な点が浮かび上がってきます。
サービスの質と待遇が見合っていないのです。

社員という既得権者は、制度の庇護の下に厚遇を得て、
大したサービスでなくとも別に解雇される事もなく、安穏とやっていられる。
例えばレジに客を6人並ばせて平気な顔をしていても、
別に何を言われるわけでもありません。

その一方でアルバイトという、労働階級としては最底辺の人々は、
制度の庇護からも見捨てられた冷遇の中、高いサービスを求められ、
それができなければ即座にも解雇されうるという過酷な条件下にあります。
例えばレジに客を6人並ばせて平気な顔をしていたら、
裏に連れて行かれて大目玉を食らいますし、それを繰り返すようならクビでしょう。

片や厚遇を得つつ、安穏として低サービス。
片や冷遇されつつ、あくせくとして高サービス。
下に行けば行くほど労働と対価の不均衡が大きくなるこの様相には、
身分社会の香りを感じずにはいられません。

もちろん、業種によっても違いはあるでしょうし、
そもそもこのエピソードがとりわけ象徴的な事例だというのも承知の上です。

しかし昨今の日本の労働環境は非正規労働者の比率を増やしており、
それでいて業績の美味や手厚い保護は経営者や正社員が享受し、
非正規には不利と冷遇ばかりが押し付けられる風潮が強まっています。

となれば上記のエピソードも、その両者の境遇の差というものが、
たまたま露骨な形で示唆されたものだと考えることができるでしょう。
日本は雇用形態において、身分社会であるというわけです。


さて、最初の問いに戻りましょう。
一般庶民の生活圏で優れたサービスを受けるには、どこに行けばいいでしょうか?

答えはコンビニです。

身分社会の底辺にある人々が、冷遇の中でも元気を振り絞り、
あるいは笑えるような境遇でないにもかかわらず笑顔を作って、
最高のサービスであなたをもてなしてくれるでしょう。


ただ、そのもてなしが幸せを呼ぶとは限りませんが。



以上、乱文失礼

EXT - Feed Read Be Freed (Vol.5)

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
(2009/11/21)
クリス・アンダーソン

商品詳細を見る

フリーにまつわる総合的な解説書および指南書。

フリーの概念そのものは20世紀から存在するが、
かつてはアトム(原子)におけるフリーであったのに対し、
今はビット(情報)におけるフリーが隆盛している。
ビットは限界費用がゼロになるという特質により、
フリーの世界にかつてない変質をもたらし、
その混迷ぶりは今日も世界のそこら中で見ることができる。

本書は、そんなフリーの世界を総合的に解説する。
フリーの基本的な構造に始まり、20世紀から現在に至るまでの
様々なフリーのモデルの実例を紹介し、更には行動経済学や
マズローの欲求階層説といった外部的な理論を用いての分析まで幅広い。
更にはフリーに対してよく聞かれる(もしくは実際に筆者に寄せられた)
批判に対しても、筆者の考えや返答が提示されている。

ちなみに筆者は前書きで、このフリーに対して読者が
賛成でもなければ反対でもないことを望んでいる。
フリーというものが、否定しようもなく実際に存在し、
しかもその姿を絶えず変え続けているということから、
人類はこのフリーに対し、常に向き合い、考察し、
対応していかなければならないという宿命を示唆している。

フリーは現実の大きな流れである。
それは賛成とか反対とかいうような単純で表面的な議論を全て押し流し、
従来の価値観や理解の見直しを人類に迫っているのである。

フリーを知り、また語る上で、必読の一冊と言えるだろう。



以上、乱文失礼

030 - Musical chairs in ruins

最近、日本人の(典型的な)人生設計について考えさせられることが多いです。

「勉強して、いい大学を出て、大企業に就職もしくは公務員になり、
手厚い賃金と社会保障を享受しつつ、貯金に励み、安定した人生を送る。」

日本人の人生設計は、概ねこんなものでしょう。
ただ今回のエントリーで扱う範囲としては、この記述は細かすぎてノイズを生じるので
以下のようにエッセンスを抽出します。

「大企業に就職もしくは公務員になり、安定した人生を送る。」


さて、この人生設計、日本人として「正しい」とされるロールモデルですが、
現在その実現性や確実性は、かつてなく揺らいでいます。
そのことについては、特に論じるまでもなく皆さんもご存じのことでしょう。

これに対する現実的な対処としては、パラダイムシフトが考えられます。
世界のめまぐるしい変遷が、このロールモデルの存在を許しておかないというのなら、
ロールモデルを修正する以外にありません。

では日本人は、このロールモデルの修正に動いているでしょうか?
答えは圧倒的なまでにNoだと、自分は見ています。

社会制度は相変わらず正社員であることを前提とした、
そして非正規など存在しないと言わんばかりのシステムのまま継続され、
人々の意識もまた、正社員を良しとし、非正規はダメな人間とする風潮が支配的です。

この事実に対して、
「追い詰められればきっと変われるはず」という意見があるかもしれませんが、
自分はそれには同意できません。
なぜなら、いま現在、既にもう追い詰められているのです。
「きっと変われるはず」とされる局面に既に差し掛かっているにもかかわらず、
日本人は変われていないというわけです。

いや、むしろ状況はもっと始末の悪い方向に動いていると言えるでしょう。
追い詰められた日本人は、ロールモデルを修正するどころか、ますます内向きになっています。
就職における相変わらずの大企業志向に加え、公務員の人気が急上昇していることは、
その顕著な一例だと言えます。


以下、イス取りゲームの理屈で説明しましょう。

日本的ロールモデルを実現できるイスがどんどん減っているのが趨勢です。
これは世界的な変遷を受けての現象なので、日本人の努力でイスを増やすのはほぼ無理です。
(政府が公共事業的に雇用を増やせば、イスは増えたように見えますが、
このイスは偽物もしくは幻なので、座っているうちに壊れるか消えます。)

イスは減る。人口はそのまま。どうするべきか?

ここでイスの数に合わせて(人為的に)人口を減らすというのは、
理論的には正しくても、現実には不可能です。
仮に実行すれば、人類史上最大級の汚点を残すことになるでしょう。

となれば、このイス取りゲームはもはや成立していないので、
さっさとパラダイムシフトして、別の舞台でゲームを仕切りなおすしかありません。

しかし日本人は、それをやろうとしません。
むしろ前にも増して苛烈にイスを取り合い、そして見事イスを取れた者は
そこに大事にしがみ付き、我こそは正義とばかりに、イスを取れなかった者たちを罵ります。

 「イスが取れないのは自己責任! イスが取れないのはダメ人間!
  ダメ人間は出て行け! 二度とこのイスに近付くな!
  このイスに座って、私だけは幸せな人生を送るんだ!」

そうやって、既に破綻しているゲームの中で、全身全霊で国民同士が貶し合う。
これが今の日本の姿です。


さて、こんな日本人は、一体どうやったら変わるのでしょうか?
自分としては、おそらく徹底的な社会の瓦解を見ない限りは無理だと思います。
イスが全て消えるとか、あるいはただの乱闘騒ぎに成り果てるとか、
もしくは多くのプレイヤーが愛想を尽かして世界中に離散してしまうとか、
そういった強烈な破局を見ない限りは、このゲームが破綻し、
意味を成さなくなっていることに気付かないでしょう。

自分は、今の日本のあらゆる風景を、冷ややかな目で見ています。
確かに物的な次元では、まだまだ豊かで平和にも見えるこの国ですが、
その奥にある本質の次元に目を凝らせば、亡国とも呼べる荒廃した風景が見えます。

街の綺麗な建造物など、ただのハリボテにすぎません。
街の豊かな彩りは消え失せて、灰色の一色に染まります。
街の人々の賑やかさは沈黙に変わり、笑顔は石膏細工のようにボロボロと崩れ落ちていきます。

それがこの国の真の姿であり、いずれ迎える姿であると、自分は確信しています。

今この国に、信じられるものなどありません。
そして信じるに値するものもありません。
ただ自分だけが信じられ、それによってのみ、確かな歩みを進められるものだと思います。


あなたにとってこの国は、どんな姿をしていますか?



以上、乱文失礼

029 - The first scene: revised

さて、先日ファーストシーンの草稿試作品のエントリー「The first scene」を上げましたが、
後にこれについて幾つかの表現上の課題が明らかになりました。

SadmireBlueのイメージを形成する上で、この草稿は現状で最重要のファクターなので、
そのままにしておいては妙な誤解を拡散・継続させることになりかねません。
よって今回の記事では、その修正を紹介します。

もちろん、ただ紹介するだけでは記事として何の価値も無いので、
そこにはシナリオ製作上の分析や考察を併記します。

修正箇所は2つです。以下抜き出しです。

<修正点1>


//修正前
   一息つく。
   構えた右手にはスマートフォン。
   辺りを見回し、彼女は続ける。

//修正後
   一息つく。
   構えた右手には携帯端末。
   手のひら大、長方形、薄さ1センチ未満、前面ガラス部分に画面。
   辺りを見回し、彼女は続ける。
   
   //この後も「スマートフォン」の用語は数回出てくるが、
   //これらは「端末」と表記する。


ここでは「スマートフォン」という固有名詞を出したことに問題がありました。
時事性の高い固有名詞や商品名を用いることで、現実との間に余計な接点ができてしまい、
それがこの架空の物語との不整合や違和感を招いてしまうわけです。

ただしこれが「実際の世界を舞台にした架空の物語」ならば、
そもそもその世界にはスマートフォンはあって然るべきなので、別に何の問題もないでしょう。
しかし本作は「実在の世界に似せた架空の世界を舞台にした架空の物語」なので、
この世界ではスマートフォンの存在は保証されません。
よってこの名前を使ってしまうと、色々と不整合や違和感が出てしまうわけです。

この問題を回避するためには、別の架空の名前を用いればいいでしょう。
しかしここにも考えるべきことがあります。
すなわち、実際に存在しない架空の名前を用いるということは、
「それは何であるのか?」について詳しい説明を併せて求められるということです。
これはドラマのテンポを損ねるので、説明のタイミングには注意を要します。

とりわけ上記はファーストシーンとして特にテンポに気を使う所なので、
こんな説明はできません。よって名前も出せません。
単に「携帯端末」と称し、それをイメージするのに必要な最低限の形状情報だけを出します。

ただこの形状情報も、地の文で書くと微妙に冗長でテンポを損ねがちです。
この部分については、本作の表現スタイルを用いています。


//通常の描写
   手に収まる程度の大きさの長方形の端末で、厚さは1センチも無い。
   前面はガラスになっていて、その一面に画面が表示されている。

//本作
   手のひら大、長方形、薄さ1センチ未満、前面ガラス部分に画面。


このような感じで、体言止めを主体にしてテンポを追求します。
通常の描写に比べて、情報がスムーズに頭に流れ込んでくる気がしませんか?
(少なくとも自分はそう思うので、今後もこのスタイルで行きます。)

<修正点2>


//修正前
【女性】
2050年5月2日、日本、青木ヶ原樹海にて記録する。
アサギ・エヴァーブルー。

//修正後
【女性】
N.E.91年5月2日、日本、青木ヶ原樹海にて記録する。
アサギ・エヴァーブルー。

   //年数は仮。


ここで問題だったのは「2050年」という表記です。

これが剣と魔法のファンタジー世界の話ならば、
この「2050年」はどこかの架空の紀元と暗黙に解釈されるのでしょうが、
生憎と本作は現実世界をモデルにしているため、
「2050年」は「西暦2050年」と暗黙(というより条件反射的)に解釈されてしまいます。

こうなると面倒なことになります。
すなわち現実の紀元を用いることで、物語の世界が現実と同じ時間軸上に
乗せられてしまうわけです。

前述のスマートフォンのくだりでは「現実との間に余計な接点」と書きましたが、
こちらの場合は接点どころの話ではありません。
世界を一枚の「面」とすれば、「現実の面」と「物語の面」を重ね合わせて、
その隅から隅までを徹底的に見比べられてしまうということを意味します。
こうなっては至る所が不整合と違和感まみれになってしまうでしょう。

これを回避するために、架空の紀元を設定しました。(※1)
実に単純な方法ですが、これで現実と物語は完全に別の時間軸になります。
あるいは、別の時間軸だと言い訳できる確かな根拠を獲得できるというわけです。



以上、乱文失礼



(※1)
西暦が(場合によっては)「C.E.」と表記され「Christian Era」を意味するように、
「N.E.」も「--- Era」という意味です。
前半部が何を意味するかは、まだここでは伏せておきます。
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Here I blog. This is not revival. Only that it has been there and it is here. All you and I need is to be what we are. So, are you here now?

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